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     土地神話は崩壊した

  1990年( 平成2年 )にバブルが崩壊すると株式と不動産の下落が始まり未だに下がり続けています。  それ
までは地価が下がるなどという考えは日本人の頭になかったと思います。
「土地は必ず上がる」というのが日本人の共通認識であり、実際に戦後は毎年上昇していたのです。   戦後
の日本の経済成長は地価の恒常的な上昇と相関関係にあり、企業の資金調達は土地を担保にした間接金融(銀
行融資)が中心でしたから地価の上昇( 土地の担保価値の上昇 )に伴い銀行融資を拡大して貰えたのです。
  企業は銀行融資を設備投資に投下して利益を増大させ、企業が右肩上がりで成長して行くと従業員の給与が
年々アップして消費の拡大をもたらし、GDPは飛躍的に増大して世界第二位の経済大国にのし上がっていったの
です。
                         
  地価上昇の乗数効果によりGDPが上昇していくのはいいとして、異常な地価高騰は国民経済を混乱させます。   
そこで、地価を緩やかな上昇に安定させることが国の政策となり、地価高騰がある度に法改正や新法の制定によ
り地価のコントロールに国が出て来ることになります。

  昭和35年 (1960年 )には6大都市の住宅地・商業地が60%も上昇すると、1963年に「不動産の鑑定評価に関する
法律」が出来、1969年には地価公示法が制定されています。   1970年代の地価高騰の時は1974年に国土利用
計画法が出来ました。

  1980年代のバブル景気の時、特に1987年には東京圏の住宅地が68.8%、商業地が61.1%急騰した結果、1987年(
昭和62年 )に国土利用計画法を改正し監視区域制度( 100u以上の届出制 )が創され、1989年( 平成元年 )には
土地基本法が出来ます。
                        
  しかし、地価をコントロールが出来たのは1985年頃まででした。
1985年9月のG5蔵相会議で為替市場協調介入( プラザ合意 )が決まると、日本の経済政策は内需拡大の為の金
融緩和・低金利・黒字減らしの方向にシフトされて、ここから土地バブルが始まるのです。 

  1987年にはリゾート法が施行されると低金利で余った資金が土地投機に向かい、 同年には東京圏の住宅地で
68.8%、商業地で61.1%も急騰しました。

  しかし、1987年の後半から監視区域制度で急激なブレーキが掛かり、1989年後半からの大蔵省銀行局長通達に
よる総量規制で土地投機への流れは完全に抑え込まれると、1990年にハブル景気が崩壊して地価の下落が始まる
のです。
                        
  住宅地の地価は18年連続して下がり続けており、ピーク時 (1988年、昭和63年 )に比べて40%程度下落しています。    
商業地も平成19年と平成18年のミニバブルを除いて毎年下っており、ピーク時より70%程度下落しています。

  少子化と低い経済成長率の下で地価を上昇させる要因は殆どないと極論する人もいます。   バブルの崩壊と共
に「土地は必ず上がる」という土地神話は「夢のまた夢」の話になったのです。
                      



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