インターネット行政書士のフロンティア戦略 第 181号   
                令和6年2月3日発行 
      
民事法務のフロンティアに鉱脈を目差すインターネット行政書士のマインドと戦略。

                  今回の目次
        □
 不快な記憶を制御する「マインドフルネス」

 
  記憶とは脳に蓄えられた情報群のことです。  この記憶には人生経験の中で得た
有益な知識の他に、感情を不快にする忘れたい記憶もあります。

 感情を不快にする記憶も、有益な知識が溜まって来るに伴い溜まって来るところが
あり、望んでもいないのにトラウマ(心的外傷)のように蘇っては本人を苦しめます。


 不快な記憶が時々蘇るのは、「その人にとって脳が必要だと判断したからだ。二度と
同じ不快な経験をしない為に、脳の防衛反応として記憶に留め時々蘇らせているのだ」
とする有力な説があります。

  そうだとしても、30年、40年前の不快な記憶が本人の意思に関係なく頻繁に蘇るとし
たら、精神衛生上こんな悪い状態もありません。

  不快な記憶の蘇りを制御する方法として、最近「マインドフルネス」をよく聞きます。  
これは自分が今置かれた環境の中で、五感に感じられることに意識を集中する方法
です。

  要するに自分が今いる自然界から聞こえる音、見えるもの、匂うものなどに意識を
集中させる訓練により、過去の不快な記憶が段々と不快でない記憶に変化して行く
体験を目指すというものです。

  これは座禅から来ているのではないかと私は感じます。

  道元の座禅の場合、意識を無にする修行(訓練)により、心の奥から仏性が現成(
涅槃の現れ)するようになるとします。

 「マインドフルネス」とは、瞑想することで意識を今現在に集中させるか、無に集中
させるかという違いがあるだけです。

  今現在への集中により、過去の不快な記憶を不快でない記憶に変化させるところ
も大乗仏教が悟りの境地とする「煩悩即涅槃」を連想させます。


 
  なぜ、今現在への集中により不快な記憶が不快でない記憶に変えられるのか。

  過去の不快な記憶というのは、流れていった川の水と同じで本当は今現在に存在
しないのです。

  しかし、本当は存在しないものに執着してしまうのも脳がそう働くからであり、それ
は脳が作り出した煩悩に他なりません。


  仏教の唯識説に拠れば、過去の不快な記憶などは「アーラヤ識」が作り出した妄
想であり、それを真実だと錯覚しているのが煩悩の本質なのだと考えます。

  仏教では、修行によって「アーラヤ識」を「智」に変換(転依という)させることが悟り
であり、その時煩悩は消滅して今現在は涅槃となるとします。

 「マインドフルネス」の狙いは、今現在への集中により過去の不快な記憶が錯覚で
あることに気付かせて、涅槃を疑似体験させることにあると思われます。

  もっとも、仏教の基礎学とされる唯識説では、「アーラヤ識」を「智」に転依させるに
は長い修行がいるとしていますから、「マインドフルネス」の場合もかなりの訓練がい
ることは云うまでもないでしょう。



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