情報のコーディネーター  第86号
         
    平成25年7月30日発行
          窮すれば通ず。 情報こそ反転の力なり。 コトバで心の壁を破れ。

                   今回の目次
      □  年寄りの半日仕事〜超人三浦雄一郎の成功原理
 

    
  世界の最高峰エベレスト(8848m)の頂上に80歳の三浦雄一郎が立ちました。
三浦氏は38歳の時(1970年)、エベレストのサウスコル(7984m)からスキーで滑降して
いるのですが、エベレスト登頂を思い立ったのは65歳の時であったといいます。

  そして、5年の訓練期間を経て70歳で登頂に成功し、75歳の時にも登頂しています。
70歳を過ぎた老人を3回も引き付けたエベレストという山についてもっと知りたくなりま
した。

  私も日本の北アルプスなどに登ったことがありますが、エベレストというのは写真で見
てもそれと全く異次元の世界です。   北アルプスより5千メートルも高いのです。 
子供と大人程の違いがります。

  8千メートルにもなると空気は地上の三分の一です。
サウスコルから上を別名「デスゾーン」と呼びますが、それは酸素の補充が消費量に追
い付かない為、酸素ボンベを使用しないと直ぐに意識が朦朧として来てそのまま放置す
ると死に至る世界なのです。
 
 それにしてもエベレストとその周辺の風景は荒涼としていて神々しい世界です。   
3千メートル以上の切り立った岩壁、氷河、真っ青な空に浮かぶ8千メートル級の白い
巨峰・・・・どこを取っても岳人なら誰でも憧れる光景です。

  しかし、その登攀は苦しく、肉体的限界を超えて死と向き合うことがあると云います。
実際、エベレストでは10人に一人が遭難死しているのです。  途中にある岩壁に遺体
が収容されずにぶら下がっていたりするところなのです。


  エベレストへの一般的なルートは、サウスコルから南東陵を登るルートです。  
ヒラリーもこのルートでしたし、三浦雄一郎も3回ともこのルートです。
 
  ベースキャンプ(5360m)を発ち難所のアイスフォールを通過し、C1 (6050m)、C2(6450m)、
C3(7300m)を経て、ローツェフェースを登り切るとC4のサウスコルです。

  C5(8400m)からはいよいよ頂上アタックで、夜中に発ち最後の力を振り絞って急な雪
面を這うように登り、狭く急峻な岩場ヒラリーステップを過ぎると頂上が直ぐ目の前です。

  三浦雄一郎が今回成功した理由に挙げているのが、「年寄り半日仕事」です。
これまで2回の登攀では午後も登っていたが、今回は休息に当てたのがよかったと云い
ます。  
 
  午後に休息するというベストな選択をしたのは、雄大と豪太という二人の息子が同行し
ていたからだと思います。   三浦雄一郎はスポーツ医学の専門家である二人の息子
からいつもチェックを受けながら登っていたのです。

  登山家はどちらかと云うと一匹狼が多く、単独登攀を好むところがあります。
植村直己がそうでしたし、今回三浦の登頂の陰で目立ちませんがエベレストの近くにあ
るタウラギリ(8167m)で河野千鶴子という有名な主婦登山家(66)が遭難死しています。
 植村は単独でのマッキンレーで、河野さんはシェルパ2名だけのタウラギリ頂上付近で
遭難しています。

  三浦雄一郎の行動の特徴に家族同伴がありますが、これは三浦家の遺伝子でもあるよ
うです。  三浦雄一郎の父は三浦敬三といい、日本スキー界の草分け的存在ですが、
よく少年雄一郎を雪山に連れて行ったのです。   

  三浦雄一郎も海外遠征には早くから家族を連れて行っており、息子達が成長すると今度
は雄一郎を支える側に回って80歳でエベレスト登頂という夢の達成に欠かせない存在にな
ったのです。

  この家族全員で支え合って目標達成というところが、日本の家族一般に見られないもので
あり、私にはこれからの高齢化社会に一つの示唆を与えているように思えるのです。


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