情報のコーディネーター  第135号
     
          令和2年12月17日発行
           窮すれば通ず。 情報こそ反転の力なり。 コトバで心の壁を破れ。

                      今回の目次
                □ ウィルスに阻まれた野口英世



  アメリカのロックフェラー研究所に在籍していた野口英世(1876~1928)が、小児麻痺と狂犬
病の原因となる病原性細菌を発見したと発表したのは1913年のことです。

  今でこそ小児麻痺と狂犬病の病原体はウィルスとされていますから、野口の発見は間違って
いたことになります。

  しかし、それは電子顕微鏡が発明(1931)される前のことであり、ウィルスというものの存在が
分かって来るのも1931年以降なのです。


  野口と云えば、黄熱病の研究が有名です。
1918年にエクアドルで病原体を特定し、「野口ワクチン」を開発して南米の黄熱病を収束させた
ことで知られています。

  しかし、現代では黄熱病の病原体は、ウィルスであることが分かっています。
野口の特定したとされる病原体は、黄熱病とよく似た症状を示すワイル病の病原体だったので
す。  実際にアフリカで「野口ワクチン」を試したところ黄熱病に全く効果がありませんでした。


  野口の業績に梅毒スピロヘータの発見があります。  
梅毒が進行した患者に麻痺性痴呆が見られましたが、それと梅毒との関係がまだ分かっていな
かった時に、野口は梅毒スピロヘータを患者の組織の中に発見したのです。

  しかし、梅毒スピロヘータの培地による培養を追試出来た者は、未だ現れていないのです。
結局、梅毒が激減するのは、1943年にペニシリンによる治療が始まってからです。


 このように今日では、野口の業績がかなりの部分で否定的なのです。

しかし、光学顕微鏡ではウィルスを見ることが出来ず、しかも病原体は細菌としか考えられてい
なかった時代のことですから、野口ばかりを責めることは出来ないでしょう。

  陸軍軍医総監の森鴎外なども脚気の細菌原因説から一歩も抜けられず、ビタミンB1を多く含
む麦飯などを兵食に採り入れなかった為、日露戦争では25万人の脚気患者と2万7千人の脚気
による死亡者を出すという悲劇を招いています。


  野口英世と云えば、私が小学生だった昭和30年代は尊敬する人のトップに入るような英雄で
した。
  福島の貧しい農家に生まれて独学で医学を学び、アメリカに渡ると超人的な研究により時代の
寵児となり、やがて自らの研究対象であった黄熱病に罹り倒れるという、そおいうサクセスストー
リーが日本人に受けたのです。

  野口の悲劇は、時代のトレンドが大きく変わろうとしている端境期と巡り合った結果です。  

  日本は敗戦から立ち上がり、昭和30年代後半~昭和50年代の高度経済成長により豊かになっ
たものの、平成に入ると20年以上も長いデフレから抜けられず、経済成長は止まり賃金は上昇し
なくなっています。

  こおいう端境期は、国家の歴史の中にも個人の人生の中にもあるのだろうと思います。

 ペニシリンという抗生物質を青カビが生成する時は、青カビが天敵にやられそうになる危機
迫る時に限られています。   
 
 日本は今、75年前の敗戦とは違った意味の危機に直面しているのです。
初心に帰ってこの危機と真剣に闘えば、復興した経験のある民族としてトレンドに対応出来ない
筈はないと思うこの頃です。

 
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