情報のコーディネーター  第98号
         
    平成27年4月22日発行
          窮すれば通ず。 情報こそ反転の力なり。 コトバで心の壁を破れ。

                    今回の目次
                □ 私の吉田松陰考
     


  NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の視聴率が10%台にまで下がっていて人気は今一のよう
です。   しかし、その一方でこんなに面白いのに低視聴率の理由が分からないと
いう人もいます。

  私も面白いと感じている一人です。  これまで余り知られていなかった松蔭の妹杉
文を主人公にして、吉田松陰のもうひとつの面を引き出しています。

  最近、昭和史の源流としての明治維新史は、偏った官軍史観に立っており真実では
ないから見直されるべきだという人がいます。
  原田伊織の「明治維新という過ち」はその急先鋒で、これまでの吉田松陰像は嘘だ
と言い切ります。

  本当にそう云えるのでしょうか。

  私の吉田松陰像は、司馬遼太郎の「世に棲む日日」に負うところ大です。
これは小説ですから一部に虚構があるものの、大部分は史実に基づいていると私は
思っています。
 
  司馬氏は松蔭を思想家としても英雄としても描いていません。  幕末の萩に現れた
松蔭という風変わりな志士の生き様を淡々と描いています。

  松蔭は、死後に神格化されます。  司馬氏はそおいう松蔭ではなくて、当時存在した
であろうありのままの松蔭という人間に迫ろうとしたのがあの作品だったと思います。

  「世に棲む日日」は、司馬氏の全作品の中で私が最も好む作品です。  幕末という
時代の空気や人物が素晴らしい文章でギリシャ彫刻のようにくっきりと描きあげられてい
ます。

  松蔭は「幽囚録」で「北はカムチャッカ、南はルソンまで領有せよ」と書いています。
原田伊織氏などは、ここに明治政府の帝国主義の祖形があると見るのです。

 しかし、幕府の蕃書調所が保有していたような最新の海外情報に接する機会がもし
松蔭にあったなら、もっと違った考えになっていた可能性はあります。
松蔭は「いわゆる理なるものは、古今彼我にわたり変ぜざるものなり」と云った人だから
です。

  松下村塾は学校というよりも議論の場でした。  幽囚の身であった松蔭は、地理書を
いつも横に置いて、日本の危機的状況を語ったと云います。
松蔭が弟子に伝えたかったことは、こんな日本でも一人一人が行動を起こせば変えられる
ということだったのではないか。

  松蔭の弟子伊藤博文は、松蔭の死(1859年)から4年後の1863年に英国への留学に旅立
っています。  伊藤は尊王攘夷から開国・洋化政策に転換し、明治維新後に幕藩体制と
は全く異質な近代国家を建設することになります。

  伊藤こそ松蔭の云った「古今彼我にわたり変ぜざるものなり」の証人そのものです。
松蔭を思想家、革命家と見るには余りに若過ぎます。

 萩には「松蔭以後」という言葉があります。
松蔭以後から長州藩ががらっと変わったと云うのです。

 もしかするし、松蔭は長州藩を変える空気を作っただけの人なのかもしれません。  
松蔭は弟子達が建設することになる西洋的な明治国家の祖形までは持っていなかったと
考えるのが自然ではないか。
 
 弟子達がした尊王攘夷から文明開化という大転換は、松蔭の「いわゆる理なるものは、
古今彼我にわたり変ぜざるものなり」から見れば、当然のことであり、松蔭が作った空気の
成せる技と見れなくもありません。

 
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