子孫への最高の贈り物
〜巻物家系図を残しませんか 第38号
平成19年11月14日発行
今回の目次
□ 稲尾投手の微かな記憶
□ 団塊の世代と巻物家系図
□ 稲尾投手の微かな記憶
稲尾和久さんが13日になくなりました。
稲尾さんは、戦後のプロ野球史に燦然と輝く大投手でした。
しかし、団塊の世代である私は、稲尾さんの活躍を生でほとんど見ていないのです。
と言うのは、テレビがまだ平均的な家庭に入っていなかったからです。
入団3年目の昭和33年(1958年)に、日本シリーズで3連敗の後、
稲尾さんが4連投して4連勝した話は、今や伝説として語り継がれています。
川上は「稲尾一人にやられた」といい、長嶋は「4戦目からの稲尾の投球は実に素晴し
かった。外角の玉は全く打てなかった」としみじみ述懐しています。
しかし、この年もテレビが入ってなくて、映像的な記憶はやはり希薄なのです。
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テレビがやっと我が家に来たのは、翌年の昭和34年だったと思います。
長島や王もその頃入って来て、テレビの普及と共に国民的なスポーツとなって行きます。
そして、1960年頃から池田内閣の所得倍増計画により、高度経済成長の時代に
突入していくのはご承知の通りです。
テレビが一般家庭に入ってからも、地方ではチャンネルが2つか3つで、
野球も巨人の実況ばかりで、パリーグの中継はまずやらなかったのです。
だから、やっぱり稲尾さんの試合を見たという記憶は少ないのです。
稲尾さんが活躍した時代というのは、そんな時代でした。
稲尾というピッチャーは恐ろしくタフな人で、先発から抑えまで何でもこなしていました。
当時はローテーションなんていう観念はなく、とにかくよく試合に登場して来ました。
年に42勝したことがありますが、あれだけ試合に出れば不思議でない数字です。
だが、その結果、肩を壊し投手生命を縮めてしまいます。
選手生活は14年間に過ぎません。 32歳という若さで引退を余儀なくされたのです。
別府の高校時代は全くの無名で、漁師だった家の手伝いに小船の櫓を
よく漕いだことが、強靭な身体にしたというやはり伝説的な話があります。
何か戦後の復興期から高度成長期へ移って行く時代の勢いを一身に体現したような
名投手・・・・。 それが稲尾さんという存在なのです。
□ 団塊の世代と巻物家系図
団塊の世代が定年を向えています。大変な数の人が高額な退職金を貰って
引退するのですから、団塊の世代をターゲットにした商戦も活発化しています。
ある老舗の美術商が巻物家系図の広告を出したところ、かなりの依頼があった
そうです。聞くところでは、生命保険会社でも家系図を受注するらしい。
このように、家系図の需要は結構あるようなのです。
しかし、これらの事業者がひとりで家系図を作れません。
家系図というのは、行政書士のみが作れる事実証明の文書だからです。
そうとしても、行政書士に直接依頼してくることは少ないのが現実です。
ニーズがあるなら、連携してやって行くのは当然です。
ネックになるのは、戸籍謄本等の扱いです。これは大変な個人情報の塊ですから、
慎重にも慎重を期す必要があります。
古い除籍簿には人権侵害の恐れのある記載も見付かることがあるというから、
万一見付かったら家系図の作成はお断りする決断も必要です。
一番大事なことは、本人の意思をちゃんと確認出来る手続を執ることです。
そのノウハウを提供しまた指導する責務が行政書士にはあります。
つまり、具体的には委任状の他免許証の写しも提出して貰うということになります。
行政書士が法務顧問となって個人情報の適正な管理をサポートしつつ、
ネットワークの中で社会の需要に応えるというビジネスモデルの構築、
あるいは時代の要請を実感した今日この頃です。
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