子孫への最高の贈り物
〜巻物家系図を残しませんか 第27号
平成18年2月21日発行
今回の目次
□ トリノに想う。
□ ジャンプについて
□ トリノに想う。
今から34年前、札幌オリンピックがありました。
70メートル級ジャンプで金銀銅を取り、日本中が沸きました。
それまで、冬季のメダルといえば、猪谷千春の銀1個でした。
それ以後はメダルゼロというのが普通でしたから、
猪谷の銀というのは燦然と輝いていました。
サラエボでスケート500Mで久々の銀を取り、それから長野まで少しずつ
メダルが取れるようになり、長野では10個も取りました。
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しかし、今回のトリノから見ると長野のことは、
夢のまた夢という感じがします。
日本人が冬にあんなに安々とメダルなんか取れるわけないと考える方が、
本当は自然なのです。
トリノは稚内と同緯度だそうです。そんな実感はありませんが、
ヨーロッパとはずっと北方の国なのです。
スキーはノルウェーで発祥しましたし、アルペンはアルプスです。
スケートはオランダと思います。
結局1年の半分を雪と氷の世界に生きる人々から生れたスポーツです。
冬になると裏山でスキーをやり、平野ではスケートを滑るということが、
生活の一部なのである。そおいう中から、選手が育って来る。
そして、オリンピックでは勝つのが当り前と思って参加しているはずである。
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日本のジャンプは、長野で頂点に達しました。
冬の競技で一番日本人の勝てそうな競技はジャンプしかないと、
札幌五輪の前に私は聞いたことがあります。
笠谷がそれを証明しました。それまではノルウェー勢が勝って当り前でした。
長野で頂点に立てた要因は、V字というスタイルを一早く取り入れたことです。
しかし、今ではV字が普通になりルールの改正もあり、
昔のように日本は勝てなくなっています。
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マスメディアはもっと冬季五輪の歴史を国民に語るべきです。
特に札幌までは冬に金メダルなんて夢また夢だったことを。
今回のトリノ直前の報道を見ていると、長野の余韻をまだ引き摺っています。
選手の実績から結果を分析する過程に甘さがありました。
□ ジャンプについて
序でにジャンプの歴史的なことを書きます。
私は1960年代に札幌で中学生でした。
その頃の札幌はまだ牧歌的なところがあり、冬にはストーブを焚いてました。
空からは煤煙という煤が真っ白な雪の上に落ちて来ました。
もっとも札幌五輪が開かれる頃には、流石に石油ストーブになってましたが。
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大倉山に90M級のジャンプ台があり、毎年大会があります。
しかし、見物行く人というのは多くありませんでした。
外は寒いし、ジャンプに今それほど人気はなかったのです。
たまにノルウェーから有名な選手が来て飛ぶと、全く歯が立ちません。
勿論海外遠征をしても20位、30位といった成績です。
一度藤沢という選手が世界選手権の1本目に1位になり、
テレビで臨時ニュースが流れた記憶があります。
この時は結局2位だったと思う。
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それからまもなく笠谷が彗星のように登場して来ますが、
それが1970年代の初めです。
やっと世界と勝負出来るようになるのです。
笠谷は、ヨーロッパのジャンプ週間にちゃんと優勝しています。
札幌で金を取って当然の成績を残していたのです。
こういう笠谷がいたからこそ、長野があるのです。
元々日本のジャンプは、小樽地方のマイナーな競技に過ぎませんでした。
それがいつの間にか、日本のお家芸見たいな扱いになっていました。
それは奢りというものです。
トリノで振り出しに戻った感じです。
また長野の再現を夢見て少しずつ昇って行けばいいのです。
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