子孫への最高の贈り物 
      〜巻物家系図を残しませんか
 
 
 第3号
              平成15年9月30日発行

           今回の目次
        □ お彼岸について
        □ 仏教の根本思想って何なの?



  □ お彼岸について

 ご無沙汰致しました。読者の皆様方はいかがお過ごしでしょうか。
「暑さ寒さも彼岸まで」とよくいったものです。
 私の住む横須賀でも流石に彼岸に入ると、残暑から一転して10度も気温が下がり、
私事で恐縮ですが風邪を引いてしまいました。
 全国的にそうだと思いますが、今年は8月に真夏らしい日が少なく、
9月に入ってから連日猛暑が続くという変な夏でした。
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 巻物家系図とは直接関係がありませんが、
今日は国民的仏教行事であるお彼岸について、少し書きます。
 正直に自分のことをいいますと、お彼岸だといっても
単なる季節の節目くらいの認識しかないというのが現状です。  
 三浦霊園(三浦市)という所に父と建てた先祖の墓がありますので、
時々墓参りはしますが、お彼岸だから必ず参るというわけでもありません。
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 ところで、日本の伝統的習俗であるお彼岸とは、一体何なのだろう・・・・・・。
例によって、グーグルで調べて見てびっくりしました。
 聖徳太子の時代からある古い行事で、しかも日本にしかない習俗だそうです。
つまり、日本の先祖信仰と色濃く結び付いた習俗なのです。
 
 彼岸とは、サンスクリット語の「パーラーミター(悟りの世界という意味)」を、
「到彼岸」と訳したことに由来するそうです。
 春分の日と秋分の日は、昼と夜の長さが同じになる日です。
この日を「中日」として、前後三日を併せた1週間をお彼岸としたのは、
多分仏教でいう「中庸」と関係があるのだと思います。
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 仏教では、悟りに至る方法として、
六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)を説きます。 
 
 一般の人が毎日をこれを実践せよと言われても、中々出来ません。
そこで、せめてお彼岸の時だけでも、仏教の原点に立ち返らせようとしたのでしょう。
 先祖の墓に参り、水をたっぷりと掛け、花や好物をお供えし、
ローソクと線香を立てることが六波羅蜜の実践になるのだと、
当時の僧侶が説いたのです。

 これはひとつの方便ですが、仏教を一般庶民に近いものにするには、
こおいう方法しかなかったろうことは容易に想像出来ます。
 なにせ当時の庶民は、圧倒的に文字は読めなかったのです。
そんな庶民に、「空」とか難しい仏教の説法をしても分る訳がありません。

 その意味では、存在する仏典の多くもまた、
「空」を説明する為の方便を語っているのだと言われることも、何となく頷けます。

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 余談になりますが、「ぼた餅」「おはぎ」の由来もお彼岸と関係があります。
最近では、「ぼた餅」「おはぎ」もスーパーで買うのが普通になりましたが、
昔は祖母がよく家で作っていました。
 「おはぎ」と呼ぶようになったのは、
秋の彼岸に萩の花をかたどってこぶりで長めに丸めて作ったからで、
又「ぼた餅」は、春の彼岸に牡丹の花をかたどって丸く大きめに作ったからだそうです。

 「ぼた餅」と「おはぎ」の違いも知りませんでしたが、
昔の人はデザートを作るにも、こんなに季節感を豊かに反映させていたのです。
 
 結局、お彼岸とは、お盆と同じで、ご先祖様を敬うという日本固有の仏教行事なのです。
しかし、それも今では言葉だけが残って、季節の節目を示す記号のようになっています。
 元々先祖信仰という日本人の土俗信仰が、仏教に取り込まれていった行事です。
 高学歴となった現代の日本人は、感じ始めているのかもしれません。
本来の仏教とは、少し違うみたいだぞということを・・・・・・。


 □ 仏教の根本思想って何なの?
  
 前号の続きになりますが、私の仏教論とまた少しお付き合い願います。
私は時々、仏教とは本当に宗教なのだろうかと思うことがあります。
 とにかく、論理的で、心理学的で、科学的なのです。

 仏教では、一切皆「空」だとして、外の世界に何か実体的な物を一切認めません。
「唯だ、心だけがある」という思想です。
 外にある物は、こころが作り出した幻影、或は仮の姿だと考えるのです。
そして、その心も刹那的にあるものにすぎず、実体的な存在とは認めません。
 ですから、「我」とか「自分」といったものも否定します。
そおいうものをあると錯覚してしがみつくから、煩悩が起るのだと考えるのです。
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 ヨーロッパの思想には、物が先か心が先かという、
いわゆる唯物論か唯心論かという議論がありますが、
仏教は唯心論に近いのです。

 なぜ仏教が科学的かといいますと、逆の言い方になりますが、
科学の方が段々仏教の思想に近づいて来ているところがあるからです。
 例えば、電子という物質がありますが、これは波であり粒子であるとされます。
波と粒子というのは物理的に全く相容れない性質のものですから、
結局電子に実体はないと考えざるを得ないのです。

 また19世紀に現れて二千年来のユークリッド幾何学に一部修正を迫った
非ユークリッド幾何学では、公理というものを一つの仮定であるとしています。
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 20世紀で最も影響力のあった思想に、マルクス主義という唯物論があります。
この終末論的ユートピア思想の結末が、
社会主義国家体制の崩壊であったことは、記憶に新しいところです。

 1989年、監獄から解放されてチェコの大統領に就任したバベルは、
米国議会でこう演説したそうです。

 「私たちは恐ろしい経験をしたが、そこから貴方に教えられることが一つある。
それは、共産主義者が言うように、存在が意識に先立つのではなく、
意識が存在に先立つ、ということである。共産主義社会においては、
人々は命令された通りにしか動かず、自分では何もしようとはしなかった。
世界の変革は、人間の心の内にしかないのです」
     (岩田 靖夫著「ヨーロッパ思想入門」岩波書店より)

 「意識が存在に先立つ」とは、
何と仏教的で唯心的な感慨だろうと思うのは私だけでしょうか・・・・・。
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 こう見て来ますと、仏教が実に新鮮な思想に映ります。
そして、仏教は日本文化にさまざまな痕跡を残しているといわれます。
近くにあって遠かったのが、今までの仏教だったのかもしれません。

 今日は実務から離れて、夏の夜の夢のような話を書きました。
 
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