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   <エッセー>  逆境がくれたブレイクスルー 中村修二博士の場合



 中村修二氏は青色発光ダイオードという製品の発明者でノーベル賞は時間の問題と
言われている人です。   青色発光ダイオードの製品化は世界中の多くの技術者が挑
戦して果たせず20世紀中は無理だと言われていたのです。
 それを徳島の日亜化学工業株式会社の一技術者が開発に成功して一躍時代の寵児
となったのです。  この夏、中村修二著「考える力、やり抜く力、私の方法」(三笠書房)、
「怒りのブレイクスルー」(集英社)を読んでその生きざまを知りました。
  中村氏は愛媛県の自然豊かな佐多岬で育ちました。  言ってしまえば四国の僻地で
あり科学者が育つような文化的環境ではありません。  少年期の中村氏はスポーツと
理系科目だけが好きな何処にでもいる普通の少年でした。  田舎育ちの気後れがあっ
たでしょうか結局都会に出ることを嫌いました。  大学は徳島大学工学部でしたし大学
院修士課程を出て就職したのは阿南市の日亜化学工業という小さな会社でした。
  中村氏はこの会社で唯一の開発担当の技術者でした。  予算が極端に少なく製造
装置から何でもかんでも自分で作ったといいいます。  この逆境が中村氏に他の技術
者に見られないような職人的な技能をもたらします。
                          
  中村氏の態度は常識を疑うこと論文を信用しないことに尽きます。  青色発光ダイオ
ードの素材を選ぶ時も99%の人が反対していた窒化ガリウムを選びます。  結局、いつ
の間にか身に付いていた職人の技が優れた製造装置を作らせ青色発光ダイオードの
完成に結びつくのです。
  四国の田舎の小さな会社にいてよく独りで開発出来たと思います。  青色発光ダイ
オードを開発するまでは平研究員でもちろんドクターでもありません。   直前にフロリダ
大学に1年留学しますが留学生は皆ドクターばかりで論文も書いたことがない中村氏がま
ともに相手にされるはずもありません。  まことに直前までは逆境そのものだったのです。  
それを青色発光ダイオードの完成で一気にブレイクスルーしたのです。  今はノーベル
賞受賞者がゴロゴロいるカリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授になっています。




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