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     < エッセー>  武士道とは何か?



  最近、佐伯真一著『戦場の精神史』[日本放送出版協会、平成16年発行]という本を
読みました。  佐伯氏は平家物語の研究者で資料に残された実際の武士の戦い振り
から、新渡戸稲造の『武士道』は幻影に過ぎないと言っています。  いくさには騙し討
ちがあったりとてもフェア・プレーではなかったというのです。
  全く最近の盛上がりに水を差すような論調です。  では、新渡戸稲造の『武士道』と
いうのは架空の話なのだろうか・・・・。   私はそうは思わないのです。  新渡戸は
「それは成文法ではない。 せいぜい口伝によるか、著名な武士や家臣の筆になるいく
つかの格言によって成り立っている」と書いています。 新渡戸がベースにした資料は、
そのようなものです。  それらから、新渡戸は武士道のエキスを抽出して物語ったの
である。
  武士の価値観として「義」とか「勇」とか「仁」といったものがあったことはやっぱり事
実だったのではないか・・・・。   中々実践は難しかったかもしれない。  しかし、
こころの支えとしてこれらの価値観を、武士は共有していたのではないか。
                           
  武士道は空気のようにあった。  目には見えず法のように強制もされない。  
しかし、それは武士の理想の姿として暗黙に了解され誰も異論を唱える者はいなか
った。  だから、口伝や格言によって生き残ったのです。  現代風に言えば努力
目標としてあったのです。   体得した武士もいればそうでない武士も沢山いたと
いうことなのです。
  佐伯氏のように実際のいくさはフェア・プレーではなかったから武士道なんか幻影
に過ないというのは、筋違いだと思うのです。
  新渡戸は西洋人にも分るように、空気のようなものに形と色を与えた。
消え去ろうとしている武士道。  消え去る寸前の花火のように美しい武士道を新渡
戸は文章によって結晶化させたのである。  それは一種の絵画のようなものである。 
しかし、古典としての価値は決して失わないというのが私の見方ですが如何なもので
しょうか。



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