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    < エッセー>  太平洋戦争と司馬遼太郎



  私はいわゆる団塊の世代です。  戦争を知らない世代ですが60年前にあった
太平洋戦争のことは結構詳しいのです。  というのは、父親達のほとんどが兵隊
に行き戦争を経験していますし、親戚の中には必ず一人か二人くらいは戦死者が
出ているという世代だからです。   団塊の世代は戦争の話を聞かされて育った
と言っていいのです。
  しかし、私の父は満州に4年近く出征していながら、ほとんど戦争の話をしません
でした。 ソ連が侵入して来た頃はもう日本に帰っていて、激戦といういうものを体
験していないのです。  父とは昭和30年代によく来た太平洋戦争の記録映画を、
見に行った記憶があります。  父自身、南方であった大きな海戦や激戦の様子は、
戦後になって映画を見て初めて知ったのです。
  映画と言えば昭和30年〜40年代にアメリカの大型戦争映画が毎年封切りになっ
て、随分見たように思います。  どの映画も大変写実的に作られていて戦闘場面を
売り物にしたエンターテイメント性が強いものでした。
  しかし、単なる娯楽ではなくどの作品も真面目なもので戦争とはこんなものであっ
たと教えてくれる、ある意味での教科書だったと思います。
  8月15日が近づいて来ると何時も思うことは、南方で散って逝った20歳前後の兵
士のことです。  カダルカナルと言えば誰でも知っています。   しかし、戦争も末
期になると南方の至る所で同じようなことが起きていたのです。
  フィリピンなどでは40万という兵士が食料の補給もないままほとんど餓死のよう
な戦死であったと、最近学者が論文で発表しています。   そして、多くの遺骨は
まだ収集されていないのです。  これはまるで犬死です。  これは途中で止める
べきであった戦争が止められなかったことによる悲劇です。
 
 司馬遼太郎は幕末から明治草創期の英雄をみごとに描いた多くの歴史小説を残
した作家です。  司馬さんは太平洋戦争中、戦車隊の少尉として満州にいました。  
終戦の時22歳でしたが、「明治草創期の日本はあんなに合理的で素晴らしかった
のに、昭和になってどうして日本はこんなに馬鹿になったのか」と、しみじみ思った
そうです。  その後の膨大な小説群は、「22歳の自分への手紙のつもりで書いた」
とも言っています。  司馬さんはある意味で太平洋戦争を体験した日本人の代弁
者であったと思います。 
  和田宏著「司馬遼太郎という人」(文春新書)を読みますと、司馬さんがどういう人で
あったかがよく分かります。   司馬さんの趣味といえば資料を読むことしかないの
です。  旨い物や酒を嗜まず骨董品や芸術にも興味はなく、金が溜まれば好むで
あろうような傾向が全く見られないのです。  そして、司馬さんはどんな人にも優し
かったという。
 



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