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    < エッセー> GMと事前調整型破綻



  GMがデトロイトのフリントで創業されたのは、1908年のことです。  今、ガソリン車
から電気自動車へ転換されようとしていますが、101年前というのは馬車から自動車
に切り換わろうとしていた時代でした。
  その頃、エナメル塗膜の技術が当って大金を手にした配管業者のビュイックという人
が、1902年から自動車の生産と販売を初めていました。   しかし、自動車はさっぱり
売れず、会社をデュラントという人に10万ドルという破格の値段で売却してしまいます。 
  デュラントは元々が馬車製造業でした。 デュラントは買収と合併により会社を大き
くして、GMの基礎を築きますが彼もまたGMを追われることになります。
  GMの正史は必ずデュラントから始まりますが、この創業者の晩年は無一文だった
といいます。 一方、ビュイックの方はデトロイトの商業学校の教師で一生を終えます。
しかし、ビュイックという名は残って今日までGMを代表する人気ブランドとなりました。
  25年前、GMはビュイックの一大生産拠点をフリントに建設し、一時8万人の従業員
が働いていました。 しかし、90年代に入ると日本や欧州の小型車に押されて、徐々
に閉鎖されて行き今ではスローン博物館のみが往時を偲ばせています。

  GMは従業員の医療保険や退職者への企業年金が充実しており、本来国家のやる
べきことをやっていた会社でした。   しかし、その負担も膨大になり過ぎてGMの収
益を圧迫するようになっていました。 
  2009年6月1日、GMはついにアメリカ連邦破産法第11条の申請をしました。  GM
の資産は910億ドルなのに対して、負債総額は1728億ドルという途轍もない債務超
過です。  アメリカ製造業史上、最大の破綻となりました。
  アメリカ連邦破産法第11条というのは、日本の民事再生法にあたります。 これは
債権者に債務の大幅な減額をお願いして、再生を図る為の手続きです。  債権者
にとってもGMが消滅するより再生された方がいいに決まっています。
  そこで、GMは関係者と事前調整を行っていましたが、最大のネックと云われた労
務費の削減ではUAWと合意し、また債権者からも新生GM株の25%を提供すること条
件に削減の合意を取り付けました。
  破産手続きは3ヶ月で完了し、新生GMがスタートしました。  新生GM株式の60%を
米政府が、12%をカナダ政府が、17.5%をUAWが保有しており、要するにGMは国営企業
となったのです。  新生GMでは従業員は35%減って4万人となり、販売台数も世界4位
の600万台まで落とされる予定です。  幸い事前調整型破綻の効果として、株式市場
にGMショックは起こりませんでした。
 でも、国家管理となった企業がみごとに再生したという例はあまりないのです。
GMの再生は茨の道ですが、消費者のニーズに応えた売れる車を作れるかに全てが
掛かっています。




                  行政書士田中 明事務所