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    < エッセー>  空と輪廻について



  NHK朝ドラのテーマ曲を何気なく聞いていたら、「袖振り合うも多生の縁」という歌詞
が耳に残りました。   聞いていても何となくいい感じなのです。
当初、「多生の縁」とは「多少の縁」と書くのだろうと、つまり多少は縁があって袖が触
れ合ったのだろうとロマンチックに想像していましたら、最近間違いに気付かされました。  
  多生とは輪廻転生(この世に何度でも生まれ変わること)のことを差していて、
多生の縁とは袖振り合うようなことでもただの偶然ではなく、過去の世の縁によるとい
う意味なのだそうです。  
  仏教にある輪廻・因果応報の思想を朝ドラの歌詞の中にこっそり忍ばせているとは、
作詞家も中々やるものです。                        
  仏教に由来する言葉は沢山ありますが、仏教そのものが難しいこともあって、
庶民に分りやすい別な漢字が当てられて広まってしまったということがあるようです。
  実は、「多生の縁」ではなく「他生の縁」として使う人の方がずっと多いのです。
「他生」とは「前世」「来世」という意味です。 
尤も「前世」という意味で使っているのなら、極端な間違いではありませんが・・・・。

 「多生の縁」が輪廻思想から来ているとしても、だからどうせよというのでしょうか。
茶道に「一期一会(いちごいちえ)」という言葉がありますが、これはもう二度と会えな
いかもしれないという覚悟で人に接しなさいという心得を述べたものです。
 では、「袖振り合うも多生の縁」はそんな些細な縁でも大事にしなさいという意味
なのでしょうか。
  仏教についてよく知らない人でも、仏教と聞くとなんとなく輪廻が思い浮かぶようで
す。 輪廻というのは釈迦以前からインドにあったもので、不滅な霊魂があってそれ
が動物にでも植物にでも何度も転生するという思想です。
  一方、釈迦は無我や空や縁起の思想を説いた人です。  紀元前2世紀のパーリ語
の経典に「ミリンダ王の問い」がありますが、ここに登場する仏教僧が「人は現世で善
を行ってこそ、来世に生まることを免れ、解放される」と云っています。
  ここで、輪廻が克服の対象とされていている、つまり否定的意味に使われているの
です。  そうなのです。 無我の思想(霊魂の否定)と輪廻はそもそも全く矛盾している
のです。  和辻哲郎という哲学者は、「生命の流動的変化のみあっても輪廻はあり
得ない。 輪廻思想と無我思想の調和は不可能である」と言っています。  




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